2011年2月19日
物件探しの時にはコンドミニアムの建物自体を重視していたものの、実際に住み始めると周囲の環境も気になります。周りに高い建物がないのはいいものの、一見する限り、スラム街のように見える地区があるのは気がかりでした。
しかも、方向音痴な私は、日暮れ前に夕食を取りに出かけてから、見事に道に迷ってしまいました。これ、引越し当日です。
ジョホールバルはマレーシアの中では治安が悪いと聞いていた上、歩けば歩くほど、あまり治安が良さそうではない街並みに変わっていきました。上半身は服を着ずに歩いている人もいます。
無用心な日本人が一人歩いているのは、格好の獲物になるのでは?と不安に駆られながらもコンドミニアムが近づき、ようやく道が分かったと安心したところ、茂みから唐突に野犬が飛び出しました。
危険なのは人間ばかりではないのかと、とっさに逃げました。しかし、振り向くと追いかけてこないどころか、野犬も反対方向に逃げており、お互いに離れてから様子を伺ったところで、目があいました。
後日談ですが、現在のジョホールバルは治安がいい上、野犬は多いものの気性はおとなしく、危険性はほとんどありません。
どうやら、私が勝手に怖がっていただけで、思っていたような危険は最初から存在していなかったようです。
2011年2月19日
荷物は日本から持っていったカバンひとつと、現地で購入したスーパーの袋一つ(中身はシャンプー)だけだったので、とても身軽な状態での引越しとなりました。
不動産業者さんの車に乗り、ジョホールバルでの生活の拠点となる新居へ。ジョホールバルの中央駅から車で20分ほど、ついに新しい我が家への入居です。
とは言え、荷物は自分が手に持っているもののみ。大々的な引越しの作業も必要なく、自分が部屋に入ると同時に、入居が完了しました。驚くほどあっさりしています。
とは言え、その後に事務手続き上の問題があり、業者さんと共に室内にある家具・家電・物品を確認し、書類にチェックをつけていきました。こちらでは生活必需品はもちろん、装飾用の絵画や壷も付いてくるので、それらを入居日にチェックするのです。
これらの作業が30分弱、業者さんは帰って行きました。ジョホールバルに引っ越すほうが、日本国内での引越しよりも時間も労力も少ないのは、不思議な感覚でした。
こうして、いまいち入居の実感もないまま、まだ他人行儀な感じのする部屋での新生活が始まりました。
2011年2月18日
クアラルンプールからジョホールバルまで夜行列車に乗ることもあり、日本から現金は最小限しか持って行かなかったため、ジョホールバルに到着後、シティスクエアという現地の中心地的ショッピングセンターにあるRBCバンクのATMでお金を引き出そうとしました。
最初は楽天デビットカードで挑戦したものの、なぜかお金は引き出せず。続いて楽天クレジットカードをATMに入れてみるものの、やはり同様の結果。RBCバンクの行員さんに尋ねるも、原因は分からず。
続いて、正面にあるPUBLICバンクのATMで楽天デビットカード・クレジットカードを使用するが、やはりお金は出てこない。現金がなくては生活できないので、これは困ったことになりました。
そもそも楽天デビットカードは、マレーシアでお金をおろす目的で発行してもらったのに、これでは意味がありません。とにかく、事情を調べようと、Wifiでインターネットにつながらるシティスクエア内のスターバックスに駆け込み、紅茶を片手に原因を調べました。
すると、楽天デビットカードは設定をしないと海外使用不許可になっていたのです。つまり、ATMの前で頑張っても、ネット上であらかじめ設定しなければ、使用できるはずはなかったのです。
実際、海外使用許可に設定を変えたら、ATMから問題なくお金が出てきました。その後も、マレーシア国内だけでなく、シンガポールでも使えています。
楽天クレジットカードが使えない原因は、いまだに不明です。
2011年2月17日
海外に出れば、様々な危険が待ち受けているので、注意しなくてはならない。
そんな当然のことを、今さらながらに思い知らされました。
簡単にまとめると、さぎにあいました。
とても恥ずかしい話ながら、あなたの役に立つかもしれないので、お話しておきます。
朝食を摂りにホテルから出て信号待ちをしていたら、自称シンガポールから来た中年男性に話しかけられ、そばにある屋台で朝食を摂ることに。
この店はインド系で英語は通じない中、彼が注文を取ってくれ、そこでしばらく歓談。
シンガポールからミーティングのためにジョホールバルへ着ており、今日中に戻るという話。
その店の支払は彼が済ませてくれ、11時にミーティング開始なので、それまでは観光に付き合ってくれるということで、タクシーに乗りました。
その際は、それほど遠くに行くという話ではなかったものの、その後の流れで徐々に遠く(土地勘がないので、具体的な地名等は不明なものの、フィッシャーズ・ビレッジやサッカー・ジョホールバルの歓喜の舞台となったスタジアム等)へ。
2時間弱で元の場所へ。
請求された金額が430リンギット。
日本円にして、およそ11000円。
高いとは思いつつも支払い、ホテルに戻ってからフロントで確認すると、やはり高すぎるという話でした。
今回の1件を振り返ると、ジョホールバルに住む以上、英語でのコミュニケーションを取る機会を増やしたいという思いや、現地の人と接する機会を作りたいという気持ちから始まり、朝食の際に相手に信頼感を覚え、最終的にだまされるという流れ。
朝食をおごっておくことで小さな貸しを作っておき、その後に大きな金額を取るというのは、なかなか巧妙な流れです。
素直に感心して勉強代と割り切れるほど落ち着いてもいないのですが(実ははらわた煮えくり返ってます)、すでに立ち去ってしまった以上、どうしようもないのが現実です。
おそらく、タクシードライバーも含めての詐欺だったのでしょう。
現地での交流を求めるにしても、安全は確保しておかないと、結局はこうした結果になってしまう、という現実を、ジョホールバル到着後3日目にして叩きつけられました。
PS.料金が高すぎるかホテルのフロントで確認したのですが、そのおばさんが怒りまくっていました(笑)。
いい人です。
2011年2月15日
ホテルはあらかじめネットで(Hotels.com)予約してあったので、そこへ向かった。
駅から通常なら徒歩3分ほどだが、重い荷物を抱えての移動だったので、体にこたえた。
到着後、Hotels.comの確認番号を伝えればいいと思っていたら、プリントアウトした紙がなければいけないとのこと。
そもそも、そのホテルではインターネットが使えないらしい(スタッフが業務用に使うこともないらしい)。
仕方ないので、紹介された24時間営業のインターネットまで、荷物を抱えて移動した。
そして、再びホテルに戻ってショックな結果が待っていた。
予約の日時が間違っている。
なぜかチェックインがクアラルンプールに向かって飛行機に搭乗する日、チェックアウトが翌日、つまりクアラルンプールに到着、夜にジョホールバルへ向かって夜行列車に乗り込む日になっていた。
上司に電話で確認は取ってくれたものの、やはりその予約は無効となってしまった。
完全に自分のミスなので仕方ないが、朝から落ち込む出来事となってしまった。
その時点で時間は7時頃。
そのホテルは現在満室なため、チェックアウト後の12時までは部屋に入れないとのこと。
ホテル宛に不動産業者からの連絡が来る予定なので、これには困った。
そこで、向かいにあったホテルへ。
その連絡先をメールで不動産業者に伝え、シャワーを浴びてから朝食を買いに駅に戻った。
テイクアウトのインド料理を買ってきて部屋へ。
いつ連絡がくるか分からないため、とにかく待つ。
10時に電話が鳴り、その数分後には車で迎えにきてくれた。
事前に伝えてあった予算を考慮し、候補となる物件が4件。
まず、1件目は夢のような部屋だった。
キレイな建物、プール付、3つのベッドルーム、備え付けの家具も洗練されている。
家賃は2000リンギット(1リンギット27円なら54000円)。
東京や周辺なら、粗末な1人暮らしの部屋しか借りられないのに、ジョホールバルでは文句なしの部屋だった。
こんな部屋でいつか生活できればいいと思うような部屋に、5万円代で住める。
ただし、1人暮らしには広すぎた。
掃除の問題もある。
残りの3つの物件は、すべて同じ建物内。
間取り、料金がそれぞれ異なっていた。
結局、その建物の中で最初に見た部屋、ベッドルームが一つ、仕事部屋、リビング、キッチン、ユニットバスという部屋に決めた。
家賃は1700リンギット(先ほどの1リンギット27円のレートなら45900円)。
レートは変動するが、1リンギットが30円になっても、5万円1000円なので格安だが、広々とした部屋が3つ、キッチンも立派だ。
この建物、廊下は古ぼけているし、キレイとは言えない。
そこが最初の建物に比べて大きく見劣りするが、部屋の中は3つともキレイで広い。
そしてプールも付いている。
ほかの部屋は2つ~3つのベッドルームがある中、最終的に1ベッドルームで仕事部屋が付いているこの部屋を選んだのは、本気で仕事に打ち込める環境がほしかったため。
ジョホールバル移住という目標はすでに達成されようとしている以上、ここからの1年はビジネスと投資で成長することが目標となる。
そのために戦える環境。
日本から人を呼び、豪華な暮らしを自慢したければ、来客用のベッドルーム(シャワールーム・トイレも来客用にあり)があった方がよいだろう。
しかし、それは目的とまったく違う。
成長という一点にフォーカスするなら、ベッドルームの数を増やすより、仕事に打ち込める環境があり、ムダに広くない部屋こそが理想と判断した。
結局、2時間とかからずに移住先の部屋を決定することができた。
2011年2月15日
移住先の物件を決め、その旨を担当者に伝えたところで、ついにその不動産業者を紹介してくれたネットビジネス界の大物、真田孔明氏の元へ行き、サポートを受けながら契約することになった。
彼はいち早くジョホールバルに移住している。
ネットビジネスばかりではなく、サラリーマンとしても、かつて圧倒的な実績を残し、さらに英語・中国語も自在に操る。
そんな真田孔明氏のサポートを受けられることは、幸運としか言いようがない。
氏の住むマンションにあるカフェへ。
そして、真田孔明氏登場。
以前に会った時と同じく、気取りも何もなく、旧友を迎えるようにやって来てくれる。
英語での説明で分からない点(かなりの部分が分からないのだが)を確認してもらいながら、契約。
デポジットとして必要な金額をおろした後、不動産業者の車で私のホテルへ。
「せっかくだから、一緒に仕事しましょう」
業者が去った後、真田孔明氏の一言でパソコンを取りに部屋に行き、近くのスターバックスへ。
この時点で12時ごろ。
その後、スターバックスで軽食を摂ってからは、真田孔明氏と向かい合い、それぞれの作業を行ったり、話を聞いたりしていた。
ビジネスの話、それ以外の話、すべてのスケールがこれまでに出会った人物とは違っていた。
現在行っていること、その先に見据えているビジョン、そして、さらにその先への道筋。
あの言葉が絵空事にならず、現実的なビジョンである人間が、世の中にどれほどいるのか?
そのうちの1人と1対1で語り合うこと数時間、夕食まで一緒させてもらった。
そのまま、シティ・スクエアに入っている日本食屋で食事。
結局、8時が過ぎるまで時間を過ごさせてもらった。
この時間を通し、自分が思っている以上に、現在のビジネスにおける活動やジョホールバル移住が可能性を秘めていることが分かった。
ジョホールバル到着初日、この1日の経験だけで、移住してきた価値があったと確信している。
この夜、ジョホールバルの夜景を19階の部屋から眺めながら、あまりに熱すぎる真田孔明氏の言葉に興奮が冷めず、2日ぶりのベッドにも関わらず、夜中まで寝付けなかったことは言うまでもない。
2011年2月15日
ジョホールバルへ向かう夜行列車。
前日も飛行機が夜行便だったので、2日続けて座席で夜を明かすことになったが、エアアジアの席よりもリクライニングができるのは嬉しかった(エアアジアはほとんど倒れない)。
思いのほか寒い夜行列車の中で、結局日本から着てきたダウンジャケットが役立ち、クアラルンプールで捨てなかったことを感謝した。
ダウンジャケットを着てちょうどいいほどに寒い車内で平然とTシャツ1枚でいる数人に驚きながら、早朝に予定時刻を過ぎても着かないジョホールバルを待った。
そんな中、何かのカード(シンガポール入国に必要らしい)を持った係員がやってきた。
ジョホールバルの到着時刻は30分以上過ぎている。
ジョホールバルの先にあるのはシンガポール。
もしかすると、予定より早くに過ぎてしまったか?
質問してみたものの、まったく言葉が通じずに玉砕。
ジョホールバルでは、不動産業者との約束があるため、シンガポールまで行くのはまずい。
一抹の不安を残しながら、次の駅への到着を待った。
結果的には、ただ予定時刻より遅れただけで無事に到着。
まだ日が空ける前のジョホールバル駅を出て、予約しておいたホテルに向かった。
2011年2月14日
事前に得た情報では、マレーシアに入国する際には帰りの航空券、または第三国に出国する際に必要な資料を持っていなくてはならないとのこと。
現に、大使館に問い合わせた時にも、同様の指摘を受けている。
そのため、迷った末、使わない片道航空券をANAで購入。正規代金で購入しておき、キャンセル料を払って解約することにした。
しかし、実際の入国手続では帰りの航空券など求められることはなく、終始無言のまま、終了した。簡単なパスポートのチェックだけだったので、拍子抜けするほど簡単に済んでしまった。
ちなみに、私は何も気づかずにマレーシア人向けの列に並んだので、最初から並び直すことにはなってしまったが・・・
2011年2月14日
ついにマレーシアに出発する日がやってきたものの、暇があるどころか、とても忙しい状況でした。
出国前に終わらせるべき仕事が残っており、まずはそれを片付けなくてはならない状況だったのです。加えて、荷造りも残っていました。
昨日は新宿で用を済ませていた関係で、荷造りはほとんど終わらず、出発当日の午後に移住のための荷造りを済ませ、夜には羽田空港に向けての旅立ちとなりました。
ボストンバッグ一つの荷物とは言え、なかなかずさんな計画です。
それでも移住は無事に完了したのだから、不思議なものです。
ただ、この段階で、すでに落とし穴が待っていました。自分でも、まったく気づかなった落とし穴を、ずさんな計画ゆえに作りだしてしまっていたのです。